まぁ鶏が先なんでしょうけど。
 
 
 
存在なんて曖昧なもので、周りがいないと存在しているなんて言えない。
自分だけの認識じゃあ存在してるなんて言い切れない?
 
目に見えるものは、確かに誰にでも認識できる。
じゃあ、目に見えないものはどうなるの。
科学的に証明できてないもの…できないものたちはどうなるの?
周りに認識されない。
存在してないってことになるの?
確かに其処に在るのに。
 
 
なんてことを考えていました。
脈打つような激しい頭痛の中で。
 
 
 
帰りに鳥(だったと思う)の死骸の横を通り過ぎたとき、
無性に哀しくなった。
子供達の声が聞こえるこの場所で?
空はこんなに青いのに?
 
だけど。
 
今死んでいく命はきっと数え切れないくらい、ある。
それでも。
今生まれてくる命も、きっと数え切れないくらいあるんだろう。
存在することは、他に認識されることだけじゃない。
デカルトの言うことも一理あるとは思うけど、それだけでもない。
 
その逆…存在しないっていうことは?
違うのかな。
 
なんて、どんどん考えだけが膨らんでいって。
 
なんなんだろう。
難しい。
けど、こういう意味も無さそうなことを考えているのは楽しい…っていうより面白い。
 
だから、たとえ考える葦だろうが、
理性のあるものに生まれられてよかった。
「理解できること」ができてよかった。
自分勝手だとは思うけど。
 
 
 
あの鳥さん、どっかに埋めてあげればよかったな…。
 
 
*−・−*−・−*−・−*−・−*
 
 
もしかしたら、世界なんて無いのかもしれない。
 
私も、いないのかもしれない。
 
いや、私以外いないのかも。
 
ただただ、永いユメを見ているのかも。
 
 
もし、ユメだとしても。
 
世界なんて無くても。
 
それでも、此処にいるんだから、私は。
 
此処で生きていくしかないの。
 
生きていくしか、無いの?
 
いつか終わるのなら、どうして此処にいるの。
 
その「いつか」が来ても、この世界は続いていくの?
 
あの鳥さんみたいに。
 
それぞれの時間がつぎはぎになって、世界の時間は認識されていくのね。
 
 
 
不思議。
 
すごく不思議。
 
わからないから、面白い。
 
始まりも、終わりも無いの。
 
メビウスの輪みたい。
 
この小さなアタマじゃ、理解しきれないこの小さくて大きな世界。
 
 
きっと、ユメをみているの。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索