鶏が先か、卵が先か。
2003年9月18日まぁ鶏が先なんでしょうけど。
存在なんて曖昧なもので、周りがいないと存在しているなんて言えない。
自分だけの認識じゃあ存在してるなんて言い切れない?
目に見えるものは、確かに誰にでも認識できる。
じゃあ、目に見えないものはどうなるの。
科学的に証明できてないもの…できないものたちはどうなるの?
周りに認識されない。
存在してないってことになるの?
確かに其処に在るのに。
なんてことを考えていました。
脈打つような激しい頭痛の中で。
帰りに鳥(だったと思う)の死骸の横を通り過ぎたとき、
無性に哀しくなった。
子供達の声が聞こえるこの場所で?
空はこんなに青いのに?
だけど。
今死んでいく命はきっと数え切れないくらい、ある。
それでも。
今生まれてくる命も、きっと数え切れないくらいあるんだろう。
存在することは、他に認識されることだけじゃない。
デカルトの言うことも一理あるとは思うけど、それだけでもない。
その逆…存在しないっていうことは?
違うのかな。
なんて、どんどん考えだけが膨らんでいって。
なんなんだろう。
難しい。
けど、こういう意味も無さそうなことを考えているのは楽しい…っていうより面白い。
だから、たとえ考える葦だろうが、
理性のあるものに生まれられてよかった。
「理解できること」ができてよかった。
自分勝手だとは思うけど。
あの鳥さん、どっかに埋めてあげればよかったな…。
*−・−*−・−*−・−*−・−*
もしかしたら、世界なんて無いのかもしれない。
私も、いないのかもしれない。
いや、私以外いないのかも。
ただただ、永いユメを見ているのかも。
もし、ユメだとしても。
世界なんて無くても。
それでも、此処にいるんだから、私は。
此処で生きていくしかないの。
生きていくしか、無いの?
いつか終わるのなら、どうして此処にいるの。
その「いつか」が来ても、この世界は続いていくの?
あの鳥さんみたいに。
それぞれの時間がつぎはぎになって、世界の時間は認識されていくのね。
不思議。
すごく不思議。
わからないから、面白い。
始まりも、終わりも無いの。
メビウスの輪みたい。
この小さなアタマじゃ、理解しきれないこの小さくて大きな世界。
きっと、ユメをみているの。
存在なんて曖昧なもので、周りがいないと存在しているなんて言えない。
自分だけの認識じゃあ存在してるなんて言い切れない?
目に見えるものは、確かに誰にでも認識できる。
じゃあ、目に見えないものはどうなるの。
科学的に証明できてないもの…できないものたちはどうなるの?
周りに認識されない。
存在してないってことになるの?
確かに其処に在るのに。
なんてことを考えていました。
脈打つような激しい頭痛の中で。
帰りに鳥(だったと思う)の死骸の横を通り過ぎたとき、
無性に哀しくなった。
子供達の声が聞こえるこの場所で?
空はこんなに青いのに?
だけど。
今死んでいく命はきっと数え切れないくらい、ある。
それでも。
今生まれてくる命も、きっと数え切れないくらいあるんだろう。
存在することは、他に認識されることだけじゃない。
デカルトの言うことも一理あるとは思うけど、それだけでもない。
その逆…存在しないっていうことは?
違うのかな。
なんて、どんどん考えだけが膨らんでいって。
なんなんだろう。
難しい。
けど、こういう意味も無さそうなことを考えているのは楽しい…っていうより面白い。
だから、たとえ考える葦だろうが、
理性のあるものに生まれられてよかった。
「理解できること」ができてよかった。
自分勝手だとは思うけど。
あの鳥さん、どっかに埋めてあげればよかったな…。
*−・−*−・−*−・−*−・−*
もしかしたら、世界なんて無いのかもしれない。
私も、いないのかもしれない。
いや、私以外いないのかも。
ただただ、永いユメを見ているのかも。
もし、ユメだとしても。
世界なんて無くても。
それでも、此処にいるんだから、私は。
此処で生きていくしかないの。
生きていくしか、無いの?
いつか終わるのなら、どうして此処にいるの。
その「いつか」が来ても、この世界は続いていくの?
あの鳥さんみたいに。
それぞれの時間がつぎはぎになって、世界の時間は認識されていくのね。
不思議。
すごく不思議。
わからないから、面白い。
始まりも、終わりも無いの。
メビウスの輪みたい。
この小さなアタマじゃ、理解しきれないこの小さくて大きな世界。
きっと、ユメをみているの。
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